こんにちは、haggyです。
咳やお腹の体調不良に悩まされた前日。
でも幸い休むほどのものではなく、この日もロングウォーク。
そして目的地:ボアディージャ・デル・カミーノまで歩ききり、リラックスできるはずのアルベルゲで、再びお腹に異変が生じることに。
一体この日、私に何があったのか。
巡礼をしようと考えている方にとっては決して他人ごとではありません。
今回も巡礼に役立つ情報も盛り込みながら振り返っていきます。
スペイン巡礼を経験して
これまで自分が人に助けてもらうなんて「甘え」だと思っていた。
でも見返りを求めない優しさがそこらじゅうにあった。
そして私はポンコツすぎた。。。
2025年5月~6月、スペイン巡礼にてフランス人の道を歩きました。
フランスのサン=ジャン=ピエ=ド=ポーからスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラまで、その距離約780km以上。
日々限界を超えて歩いていくなかで、多くの失敗をし、泣きたくなる出来事に遭遇し、でもそれ以上の喜びと楽しさ、感動を味わいました。
毎日が宝物のような日々。
人生観すら変える旅だったからこそ、日記では嘘偽りなく全てをぶつけたい。
汚い体験・嫌な思い出・準備不足だったことも全て包み隠さず。
・海外旅行の体験談を読みたい方
・スペイン巡礼がどんなのか知りたい方
・スペイン巡礼をしようか迷っている方
が楽しめて参考になるように日記を綴っていきます。
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この記事でわかること
スペイン巡礼日記⑮ | 14日目、ボアディージャ・デル・カミーノへ

本日の目的地は28.4km先のボアディージャ・デル・カミーノ。
2日続けて長距離コースだ。
それでも朝はゆっくりめで、AM7:20頃アルベルゲを出発。
3日間の行程をほぼ2日に
まずは下の表をご覧いただきたい。

ブルゴスを超えた3日間の行程表である。
ブルゴスの翌日はオルニーニョス・デル・カミーノではなくホンタナス、そしてこの日はボアディージャ・デル・カミーノ。
そう、3日間の行程をほぼ2日で歩くことになる。
なぜこうなったのかは定かではないが、おそらく数日先にたどり着く大都市レオンでレストデーを設けたいからだったと思う。
皆が「ボアディージャ・デル・カミーノ」と言うので、私も乗っかった。
自我が無いと言われればそうかもしれない。
けど皆と過ごす時間はとても心地よかったし、巡礼の目的の1つでもある自分との対話は、前半の日々でほぼ済んでいた。
カミーノする理由の記事でも書いた、悶々とした気持ちとは折り合いをつけ、いつの間にかゴールすること、楽しむことに重きをおくようになっていた。
だから周りに乗っかってもいい。
プエンテ・ラ・レイナやログローニョで周りが言っていた「レストしたいけど皆と離れるのは寂しい」という気持ちを日に日に実感していた。
だがこの日は一人でアルベルゲを出発。

なぜなら私は歩くのが劇的に遅い。
最初から一緒に歩いていると、皆のペースについていけない or ゆっくり歩かせてしまい迷惑をかけることになる。
私が先に出発しておけば、どこかでみんなが追いつく。
一緒に歩くのはそこからでもいい。
それまでは考え事したり景色を楽しんだりして、一人の時間を楽しみながら歩くことにした。
体調

前日、お腹の調子が悪かった私。
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参考スペイン巡礼日記⑭ | 13日目、初の30km超え。ホンタナスで体調悪化
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皆からもらった薬+コーラが効いたのか、お腹の調子は良くなった。
咳は相変わらずひどいが。
歩いているときは大したことないのに、ベッドに横になると咳に苦しむ。
咳のしすぎでお腹が筋肉痛になるくらい酷かった。
何よりも同じ部屋で寝ている仲間や巡礼者たちに申し訳ない。
でも「申し訳ないから止まれ!」と思えば思うほど出てしまう。
注意ポイント
咳に苦しむ巡礼者は一定数いるようだ。
咳止めの薬を持っていくと安心
まさか咳が出るとは思っていなかった私は咳止めの薬はおろか、のど飴なども持ってきていなかった。
薬を持ってたらもう少し早く治っていたかもしれないのに。
歴史的な修道院
皆より早く出発するも、早々に札幌出身リョウスケと合流。
一緒に歩いていると、サンアントンの修道院にたどり着いた。

Convento de San Antónといって、1146年、当時のカスティーリャ王の後援で、巡礼者の救護を目的に設立された修道院・病院。
18~19世紀にかけての宗教改革や社会情勢の変化で修道会は廃止。
建物は朽ち、長らく放置されていたが、2002年から巡礼者向けの私設アルベルゲ(巡礼者宿)として再活用されている。
とはいっても宿泊施設はとても質素で、「巡礼らしい・中世の雰囲気のまま」を重視した電気やお湯がないアルベルゲのようだ。
外にベンチとテーブルがあったので、荷物を置いて撮影と休憩をした。

私たちだけでなく、巡礼者の誰もが足を止めていた。

そして休憩していると、スロバキア人のマチョとチェコ人のミゲルがやってきた。
友達思い
マチョとミゲルは国へ帰る友人と会うため、早めに修道院を後に。
スペイン巡礼では全員がサンティアゴ・デ・コンポステーラへ行くとは限らない。
仕事の都合上、複数回に分けて歩ききるという人もいるし、ケガや体調の影響でリタイアせざるを得ない人もいる。
せっかく仲良くなっても途中で涙の別れをすることも多いのだ。
それに行程がズレたら二度と会えない人もいる。
彼らはそれを分かっているから、最後の別れのために歩く速度や距離を調整して都合をつけたのだ。
野に咲く赤い花
休憩を終え再び歩き始めると、一面に赤い花が広がっていた。

これまでは道路脇に咲いていることが多かったが、ここでは一面だ。
赤い花といえば悲しいストーリーが。
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参考スペイン巡礼日記⑫ | 11日目、アヘスへ。行程変更&友達がとった驚きの行動
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美しいとスマホのレンズを向けるかたわらで、ミゲルが教えてくれた赤い花の話を思い出していた。
カストロへリスでスイーツ休憩
歩き始めて9.4km、カストロへリスに着いた。

そういえばまだ朝ご飯を食べていない。
小腹が減ったのでカフェで休憩をすることに。

コーヒーとスイーツをオーダー。
シフォンケーキのようにふわふわならペロリと食べれたが、キャラメルプリンのような味がする重厚感があるケーキだった。
半分ほどリョウスケに食べてもらった。
ご飯と味噌汁と豆腐と納豆と焼き鮭が食べたい。
日本食が恋しい。
巡礼をしていると、いや、海外にいると食べたいものを食べたいときに食べられないストレスが出てくる。
若いときは「海外旅行たのしーじゃーん!ご飯なんて全然平気ー!」だったのに、30代後半あたりから「食」も旅行で大きなウェイトを占めてきた。
札幌に住んでいると「ラーメンが食べたい」と思えば、手軽にラーメンが食べれる。
同様に焼き鳥、レバ刺し、焼肉、ジンギスカン、飲み放題の居酒屋、日本酒が豊富にある居酒屋など、探せばすぐに行ける。
そういう便利さがないことがしんどかった。
白米が食べたいと思っても、そこにあるパンやピザで夜ご飯を済ませなければいけない。
どんなに疲れていても、焼肉ドカ食いができない。
巡礼は楽しいけど、食のストレスは感じていたし、それは巡礼が終わった後にしたマドリード・バルセロナ・パリ旅行でも続く。
巡礼でせっかく7kg痩せたのに、帰国後にドカ食いしてたらすぐ8kgリバウンドしたのはここだけの話。
少々話が脱線してしまった。
そろそろ出発だ。
あと19kmもある。
上り坂でゼェゼェ
のどかな道を歩いていく。
飛行機雲だろうか。


景色を楽しみつつゆるゆる歩いていると、小高い丘が。

まさかこの坂を上るわけじゃないよね?と不安になる。
だがその「まさか」が何度も起こるのがカミーノ。
心配事の9割は起こらないとは言われているが、カミーノのこういう場面では、9割起こってしまうのだ。
えぇい、仕方ない、腹を括るしかない。
これもトレーニングだと思うことにしよう。
さすがに14日目にもなると上り坂への心の耐性ができてくる。
いざ上ってみると、かなりキツイ。
少し歩いては立ち止まって息を整える。
私のゼェゼェとは裏腹に景色はゼェッ景だった。

先に上り終えたオーストラリア人女性クローディアからWhatsAppのグループチャットに「シャレにならない丘だった」とメッセージが来ていた。
しかしこの丘、初日とは異なり永遠に続くわけではない。
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参考スペイン巡礼日記② | 1日目、ピレネー越えで肉体・精神ともに疲弊した話
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上り切ったところにはお疲れさんと言わんばかりに休憩所があった。

リョウスケと座っているとマチョとミゲルも来た。
無事に友人とお別れができたらしい。
休憩後は4人で歩いた。
上り坂があれば下り坂もある。

開放的な景色に心が癒される。
▽マチョ(スロバキア人)

天気も眺めも良くて、歩いていて気持ちがいい。

さっぱり終わりが見えない道だけど、景色がいいとサクサク歩ける。
ローズマリー
料理人のミゲルは、歩いているとき道端で草を摘んでは味見をしていた。
よく私に指でこすり合わせた草の匂いを嗅がせてくれ、草に秘められた効能を教えてくれた。
博識のミゲルの話はとても興味深く、勉強になる。
イテロ・デル・カスティリョという街に着いたとき、病院の前で休憩をした。
その際、病院の横にあった木を指さし「ローズマリー」だと教えてくれた。

恥ずかしい話、私はローズマリーを小瓶に入った状態でしか見たことがなく、木だということを知らなかった。
というか、ローズマリーの元の状態が何なのかを知ろうともしていなかった。
だからこそローズマリーが木だということを知ってマスオさんばりの驚き方をしたと思う。
匂いを嗅いだら、あのローズマリーの匂いがする。
そうか、ローズマリーは小瓶に詰められる前はこういう状態だったのか。
ビール休憩
歩き始めて20.2km。
イテロ・デ・ラ・ベガという街に着いた。

クローディアが待っていてくれ、マチョ、ミゲル、リョウスケとアルベルゲのバルでビール休憩。

残り8.2km。
既に足と肩は限界だ。
それでも歩かねばならない。
再びお腹に異変が

ヘロヘロになりながらも28.4km歩き、なんとかアルベルゲに到着したのは17時。
アルベルゲは「Albergue En El Camino」。
少人数の部屋で仲間内だけにしてもらえた。
仲間内の部屋だと、大体ベッドは下段で上段にはリョウスケが眠っていた。
いつも下段を譲ってくれる優しいリョウスケ。
リョウスケだって下段が良いだろうに、日々無理して歩いている私を気遣って譲ってくれると思うと申し訳ない。
17時についたので洗濯はできない。
だがこのアルベルゲでは洗濯をしてもらえた(有料)。
仲間内で洗濯物をまとめて一緒にしてもらうことに。
助かった。
コミュニティディナー
アルベルゲにキッチンがないので、夜はコミュニティディナー。
スープ、パン、メインディッシュ(サラダ付き)、ワインで14€。
メインディッシュはビーフシチューと別な料理(魚だったっけ?)と選べた。
ワインがテーブルに置かれると、ミゲルは「テーブルワインは上質なものじゃないから」とワインに水を入れていた。
私も真似して水を入れて飲んでみると、ジュースみたいであり。
レンズ豆のスープ。

実は私、これまでレンズ豆を食べたことがなかった。
あっても記憶にないレベル。
「この豆は何?」と聞くと、ミゲルがレンズ豆だと教えてくれた。
タンパク質、食物繊維、鉄分が豊富に含まれているのだそう。
なるほど、巡礼を歩ききるのに必要な栄養素もちゃんと入っているのか。
少しザラザラした食感で、味に癖はなく、スープの味わいに邪魔していない。
納得しながら食べているとマチョが「でもこの豆を食べるとおならが出やすくなるんだ」と言っていた。
「あぁ、さつまいもみたいな感じだね」と言うとニッコリ頷くマチョ。
続いてメインディッシュのビーフシチューとサラダ。

久しぶりに肉の塊を食べた。
食べ応えがあって、肉の力で疲れが取れた気がする。
日本人グループとの出会い
シャワーを浴びていたとき、日本語で話す声が聞こえてきた。
関西弁で、これまでの巡礼路では聞いたことがない声。
シャワーを出たときには誰もおらず、「もしかして日本人のグループが泊まっているのかも?!」とは思っていたが、ディナー会場から部屋に戻る途中、出会えた。
母娘と母の友達のグループで、ブルゴスから歩き始めたのだそう。
ポイント
フランス人の道は必ずしもサン=ジャンからスタートしなくても良い。
ブルゴス、レオン、サリアなどからスタートする人もいる。
100km以上歩くことで、サンティアゴ・デ・コンポステーラで巡礼証明書がもらえる。
とても明るいグループで、元気をもらえた。
寝る前に娘さんが我々の部屋近くに来たので、マチョもご挨拶していた。
「chin-chin」と言っていたが、他の人の声などでかき消されて娘さんは「???」状態。
ヤ・メ・ロ!笑
▽最初のchin-chinエピソードを読む
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参考スペイン巡礼日記⑨ | 8日目、ナヘラへ。短いはずの一日が忘れられない29kmに
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お腹に異変
寝る前のひととき、皆翌日の準備をしたり、荷物の整理をしたりと思い思いの時間を過ごしていた。

そんななか、私にある異変が。
なんかお腹にすごくガスが溜まっているのか、とめどなくおならが出そう。
一度ガマンしてもまたすぐにおならの波がやってくる。
その勢いはとどまることを知らない。
なぜこうなった...?
もしかしてスープに入ってたレンズ豆か...?
マチョが言ってたっけ。
「でもこの豆を食べるとおならが出やすくなるんだ」
さっそくきたのか。
念のためネットでも調べてみると、「レンズ豆でお腹にガスが溜まる」と書いている。
ガマンするから余計おならとの闘いが長引き、しばらく苦しめられることになるのでした。
日々咳や体調不良に苦しめられても何とか休まずここまで来れている。
しかも予定より長距離を歩きながら。
この頃から「自分よくやってるな」と自分を褒めるように。
翌日はどんな出来事が待っているのか、ぜひお楽しみに。
Buen Camino!
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